「余白」も必要

同志社女子大学 の小﨑眞学長とお目にかかる機会をいただきました。
昨今の子どもたちの居場所、部活動の地域移行、高齢者の活躍の場、若者たちの考え方などについて話をさせていただきました。もっとご意見を伺いたかったのですが時間が足らず・・・
また次にお目にかかる機会がありましたら先生のご意見をもっと伺ってみたいです🥰

小崎学長から伺ったお話を自分なりに解釈し、こんな風に考えると少し気が楽になるなと感じたことをご紹介します。
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 先生が30年前にアメリカにいかれた際、とかくアメリカの方たちは、"Who am I?"とアイデンティティをアピールしたり考えたりすることが得意といいますか、好きな人種であると感じられたそうです。
今の学生もいかに自分の得意分野や専門性、強みといったものをアピールできるかが求められる時代です。企業でもしかり、この会社でどんな事をしたいのか、どうやって社会に貢献していこうと考えるのか?を問われます。
 でも、「私はこれができるからこれをやりたい!」と自分の希望ばかり求めたり、誰かに期待ばかりして結果を追い求めてもなかなかうまくいかないこともあります。いや、なんならうまくいかないことだらけでは?
 自分が何者であるか?とうまく表現できなくても、結果がすぐにだせなくても、答えが見つからなくても、悩んで人の意見を聞くための「余白」があるくらいの方が人生に深みも増すのでは?と…

 .私自身、いつも自分の言動に後悔したり反省したり、悩んだりする日々を送っていますが、それもまた色んな方の意見を聞くことによって新たな考えが生まれたりすることもあるわけで、そう考えると焦らずに自分自身に余白を持ちながら生きていこう!と思えました。
 もちろん、常に自己研鑽することは必要で、それによって自分が社会に貢献できることが生きていく上でのモチベーションにもつながります。子どもや若者には努力と探究心でもって問題解決能力や実行力、そして自己表現力を身に着けて世界に対抗できる能力を身に着けて活躍してほしい!と願います。一方で、一生懸命やってみたけど失敗して、うまく事が運ばなくて不安にさいなまれても、一呼吸おいて、また自分で折り合いをつけて方向転換・修正ができる柔軟性も身に着けられると良いですね。答えは一つじゃないし、考え方も人それぞれ。 一人では無理な時は誰かを頼ればよいし、また新たな発見や斬新なアイディアが出てきたりすればそれはそれでもうけもの。 いつも自分自身の中に「余白」を持ち、柔軟に物事と対峙できるメンタルを形成していくことが必要だなと思いました。

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